インターネット活動論

WWWにおける交流について、その問題点を論じます。

更新履歴

目次

まえがき

インターネットの普及は、ファンの活動に新しい形態をもたらした。この活動は、近年においてルーミックファンの愛好活動のうち最もアクティブなものの一つである。インターネットを主な手段とする活動には、電子メール、メイリングリスト、ニュースグループ、WWWサイト、掲示板、チャット、オフ会などがある。電子メールは文通や他の活動の通信手段としても活用されている。掲示板やメイリングリストは投稿月刊誌の役割を引き継いだ。チャットルームは、単位時間あたりの交信量こそ少ないものの、集会における移動コストなどをも考えると実に経済的な交流方法だ。将来的には、ファンだけを対象としたプロバイダ業務もありえるだろう。

WWW活動に必要なPCやモバイル機などは、オフィスや一般家庭に普及しつつある。接続料金定額制やテレホーダイなどのサービスが整備されてきており、環境的にはインターネットを用いた愛好活動は、大人から子供まで気軽に参入することができるものとなっている。実際に、かってファンだった大人が再びファンとなり愛好活動を開始するケースも多発している。一方、賞与後や進学などの機会に親からPCを貸与された子供のファンも、インターネットを用いた活動に参入してきている。

この文書ではインターネットを用いたファン活動について考察する。

第1章 日本語圏における現状

日本語圏では1997年頃から、ルーミックWWWサイトの開設が急激に増加してきた。

多くのWWWサイトでは、作品感想やイラスト、掲示板やチャット、リンク集などがコンテンツとして公開されている。今日においてこれらの日本語ルーミックWWWサイト群は密接な相互リンク等により、群全体で一つの集団を形成しているとみなすことができるほどである。

有名な検索エンジンである Yahoo Japan で検索すると、「うる星やつら(うる星)」では8(8)件、「めぞん一刻(めぞん)」では11(35)件、「らんま1/2(らんま)」では3(33)件、「犬夜叉」では5件、「ルーミック(るーみっく)」では48(2)件、が検索される(1999年10月19日)。

同じく goo で検索すると、「うる星やつら(うる星)」では2784(3109)件、「めぞん一刻(めぞん)」では1529(1985)件、「らんま1/2(らんま)」では1881(1881)件、「犬夜叉」では648件、「ルーミック(るーみっく)」では48(122)件、が検索される(1999年10月19日)。

更に Infoseek で検索すると、「うる星やつら(うる星)」では4051(4569)件、「めぞん一刻(めぞん)」では2825(40155)件、「らんま1/2(らんま)」では14516(14516)件、「犬夜叉」では997件、「ルーミック(るーみっく)」では87(24278)件、が検索される(1999年10月19日)。

メイリングリスト(ML)も活発である。主なMLとしては、『めぞんML』、『うる星ML(1998/02/06開始;1998/11/24現在176名;1999/10/24現在295名;2000/05/07現在357名)』、『らんまML(1998/06/14開始;1998/11/24現在157名;1999/10/24現在323名;2000/05/07現在430名)』、『犬夜叉ML(1998/05/08開始;1998/11/24現在132名;1999/10/24現在261名;2000/05/07現在357名)』、『うる星通信ML』などが存在している。また私設サークルの内部連絡用のMLもいくつか存在している。

私の経験で言えば、アクティブにWWW活動を行っているファン(日本語使用者のみ)の数はせいぜい数十人ないし百数十人というところだろう(1999年10月)。

第2章 活動の分類

インターネットを用いた活動を分類してみた。

2−1 電子メール

電子メールとは、電報のインターネット版と思えばよい。電子メールの普及により郵政メールのことをスネイルメール(カタツムリメール)と呼ぶ人も増えている。

電子メール(個人間)

個人間の電子メールを主たる手段とする活動は、かっての文通に相当する。ハガキや封書の代わりに電子メールが使われるようになったと思えばいいだろう。海外とのやりとりも盛んになってきている。これには機械翻訳システムの発達も一役をかっているようだ。気軽に返信を書くことができるので郵送による文通よりも通信頻度が高くなる傾向がある。メーラーのレス機能の利用により、擬似的な会話の形での交流が主となりやすい。

またモバイル機の普及に伴い、かってのポケベルのような使われ方も一部ではなされている。たわいのない会話のやりとりは通信というよりも通知に近いものである。ある種の仲間関係「めるとも」を維持するのにも役だっているようだ。

メイリングリスト

メイリングリスト(ML)とは、電子メールの配信システムを利用した交流手段である。メンバーがMLに投稿するとメンバー全員にその内容が電子メールで配信される。そのため、MLは文章投稿雑誌のような役割も果たしている。MLでは、作品に関する速報やファン活動の連絡なども見られる。気軽に投稿できるシステムはファンの交流を盛んにするのに役立っている。

もしMLを会員制の私設サークルだとみなすならば、二百人近いメンバーを擁する「らんまML」などは日本で最大級のサークルであると言えよう。

2−2 WWWサイト(発表用のコンテンツ)

ファンが開設するWWWサイトではさまざまなコンテンツが提供されている。その法的な問題(著作権法など)については別の文書で扱っている。

作品の感想

インターネットの普及時期は『犬夜叉』連載とほぼ重なっており、各話毎の感想文があるとすればそのほとんどが『犬夜叉』のものである。旧作品の感想も無いわけではないが、その分量ゆえに各話毎の感想を書くのは大変なことであるようだ。

特定のエピソードやキャラクターへの感想はかなり多い。それぞれのファンの嗜好がよく現れている。

作品の考察

感想とはまた別に作品に関する考察は年長者を中心に数多く提供されている。特に『めぞん』系列のWWWサイトでは作品に対する考察が多く見られる。それは、キャラクターの性格分析であったり、作品のモデルとなった場所の調査報告であったり、原著作者である高橋留美子先生の執筆環境などであったりする。

作品の資料

タイトルリスト、スタッフリスト、画像、音声など作品に関する資料は数多くまとめられている。作品中に登場する風景の一覧や作品内のキャラクター登場コマ数などもある。また、ルーミックに関する様々なニュースなども扱われることが多い。キャラクターグッズなどの写真もいくつかのサイトで扱われている。

イラスト

日本国内のWWWサイトではファンによるイラストが画面を飾っていることが多い。

興味深いことに、若いファンを中心にイラスト交換が流行っている。閲覧カウンター数がメモリアルな値になったり、そのページにとって何か大きな出来事があると、それらを記念してイラストがプレゼントされる。プレゼントされたイラストはそのページで公開される。

なお、現在の一般的なWWWアクセス環境では、イラストを読みこんで表示する為に数秒ないし数十秒ほどかかる。

ファンフィクション

ファンによる創作小説も流行っているようだ。同人誌などはマンガの形式による発表に向いているが、WWWサイトはむしろマンガよりも小説などの形式に向いている。事実上、同人マンガがWWWサイト上で発表されることはほとんど無い。

その他

ルーミック関連では、プログラムや音楽データなども見られる。また、論文や翻訳などがたまに見られる。その他の発表用コンテンツはあまり見かけない。

2−3 WWWサイト(交流用のコンテンツ)

ファンが開設するWWWサイトではさまざまなコンテンツが提供されている。

掲示板

WWWサイトの多くは、掲示板機能を含有している。掲示板とは、当該ページを閲覧する者が意見を書き込むことができるボードである。後から閲覧する者はそれを自由に読むことができ、書き込まれている記事に対してレスポンスすることができる。

一口にルーミックと言ってもそれに関する話題の幅は広い。MLやニュースと異なり、掲示板は適切にテーマごとに分化して開設することができる。

デメリットあるいは予想される問題点の一つに、掲示板の供給過剰により参加者が分散するので開店休業状態となるところが出てくるだろう。現在でも、それに近い掲示板は少なからず存在する。特色を持たないWWWサイトの掲示板はなおさらだ。

交流専用の掲示板が並列されていない場合には、メモリアルカウンター記念のメッセージや自己紹介やサイトに対する感想などのメッセージが多い。

チャット

掲示板ほど多くは無いが、チャットルームもあちこちに見ることができる。それでも実質的にリアルタイム交流用として機能しているのはせいぜい10箇所といったところだろう。「うっちゃんチャット」「こたつねこチャット」「うる星チャット」「天道かすみチャット」「あさチャット」などが流行っているようだ。特に、前二者は24時間営業とまで言われている(2000年3月現在)。

多機能で有名な「うっちゃんチャット(三浦%店長さん作)」の影響は大きい。このチャットはルーミックチャット界における源流に位置付けられるものだろう。

チャットログが長時間保存されるチャットや私信預かり機能を持つチャットは、簡易連絡板としての役割も果たしている。また、各チャット独自の用語が発生することもある(例えば「肉まん」など)。

インターネットの匿名性を利用し、作品中の登場人物名をハンドルネームとして使用し、そのキャラクターになりきって会話を楽しむ「キャラチャット」というものもあり、それなりに賑わっている。

リンク集

ほぼ全てのWWWサイトに設置されている。バナーを採用したリンクページが一般的である。

リンク集は大きく3パターンに分類される。個人的な仲間や友人のサイトへのリンクを集めたもの、自分のサイトのコンテンツに関連するサイトを集めたもの、そして、特定のテーマで広く集めたものである。

2−4 WWWサイト(その他のコンテンツ)

WWWサイトのコンテンツには発表用とも交流用とも区別できないものもある。

自己紹介

ほぼ全てのWWWサイトに設置されている。

日記や随筆

多くのWWWサイトに設立されている。更新頻度が高いページには定期閲覧者も多い。

連絡用など

同人誌の宣伝や、コンベンションの通知や、サークルの事務連絡などが見られる。

2−5 グッズ流通

WWW上では通信販売も盛んである。海外版ルーミックの入手は容易になっている。

ネットオークションではルーミック関連のグッズの売買が盛んに行われている。トラブルも無いわけではないが、十分に交易システムは機能している。なお、中古アニメグッズショップとは別の相場が形成されている。

2−6 その他オンライン

英語のニュースグループなどが存在するが、日本のファンによる投稿はほとんど見られない。ルーミックに関するメールマガジンは存在していないようだ。ネット電話の使用状況は不明。ネットミーティングもほとんど使用されていない。

2−7 オフ会

オフ会とはオフラインミーティングの略である。オフ会はファンの集いの一種であるが、そのメンバーの通常の交流がオンラインで為されている場合に特にそのように称される。

第3章 参加者たち

WWW活動に参加するファンたちについて言及した。

3−1 さまざまな参加者たち

WWWにおいてはさまざまなファンの姿を見かけることができる。

社会人

インターネットの普及により、かつてファンだった者たちが再びルーミックに興味を示すことがある。インターネットを用いた活動は忙しい社会人でも十分に可能なものである。

子供

社会常識や技術常識に未熟な子供でもインターネットを用いた活動を行うことができる。このため、常識外れな言動やネット上におけるルール違反がWWWサイトや交流用コンテンツ(掲示板やチャットやMLなど)上などでしばしば見られる。

非日本文化圏から

日本国内のファンは相変わらず海外に対する情報発信には消極的だ。日本においては、国内に互いに交流するのに十分な数のファンが存在し、また我々は日本語だけを常用していることに大きな原因があるだろう。

ルーミック発祥の地である日本文化圏は、人口比率で見ると世界の人口60億人(1999年10月12日)のうち2%を占めているにすぎない。しかるに、いまや海外にルーミック作品が輸出・翻訳され数多くの熱烈なるファンが存在するに至っている。WWWとはワールドワイドウェブの略であり、ネットワークは世界中とリンクしている。海外のファンたちとの交流は、より盛んになっていくものと予想される。

ルーミック作品の多くは日本固有の民俗に基づいている。諸外国のファンからみれば、それは東洋の島国のファンタジーである。彼らにとってラムちゃんは「日本に伝わる鬼をモチーフとした宇宙人」ではなく「オリエンタルファンタジーの妖精」なのかもしれない。日本のファンとは根本的に価値観が異なる海外のファンとの交流はきっとワンダフルなものになるだろう!。

障害者

WWW活動は机に向かいながら可能なものであるので、身体障害者がインターネットを用いてファン活動をすることは比較的容易である。目や耳などの入力器官が機能しているならば、ルーミック作品を視聴することは可能であるから、ファンは十分に存在し得るのだ。私は愛好活動のバリアフリー化に大いに賛同している。

3−2 ハンドル

ハンドルとは、コンピューター通信の世界で使用されるペンネームのようなものをいう。

投稿活動や同人誌活動においてはペンネームの使用が一般的であった。コンピューター通信の世界ではかって技術的な理由でハンドルというものが生まれ、それが現在に至っている。

ハンドルの多用は時として、本体とは別人格のペルソナを生み出す。コスプレとは異なるが、普段の自分じゃない自分を演じる楽しみというものが発生するのだ。それはネットワーク上の活動の延長であるオフラインミーティングのときにも引き継がれることが多い。

あくまで一般論であるが、ペルソナをかぶった交友はペルソナ同士ではものすごく仲良くなれるものだろう。しかし、本体をさらけ出すことがないので、その交友は一時的なものに終始しがちである。嫌な表現をあえてすれば「とても密接で楽しい表面的な交流」になりがちだ。

3−3 廃人

ルーミック愛好者論の主たる提言のひとつである「趣味の為に生活を犠牲にしてはならない」もまた、インターネットを用いた活動に適用することができる。インターネットを用いた活動は忙しい社会人や主婦でも気軽に参加できるものであるので、特にこの点には留意せねばならない。

中には、勉強や仕事や家事をすべき時間又は場所で長時間チャットしたりネットサーフィンしてたりする者もいるし、深夜のチャットで翌朝に寝坊したりする者もいるし、活動にはまりこんで膨大な通信接続費が掛かってしまう者もいる。キッチンドランカーならぬキッチンチャッターなる主婦も発生し得る話である。

ルーミック愛好者の評価を貶めることのないよう望みたい。

第4章 交流用のテーマ

交流用コンテンツ(ML、掲示板、チャットなど)において見られる諸問題について言及した。

4−1 投稿規範の明示

掲示板やMLにおいて、投稿規範が明示されていないかその共有がメンバーになされていない場合に、場のテーマを大きく逸脱した投稿が多発し得る。例えば、メンバーの共有認識において「テーマに関する場」と「ファンの交流の為の場」との区別が曖昧である場合などには、個々のメンバーあての私信とも言える内容が投稿の多くを占めることがありえるのだ。多発する脱線はやがて場の他のメンバーに不快感や疎外感を与え、流し読みの風潮や未読傾向を増長せしうみ、テーマに関する投稿意欲を削ぐことになる。このケースは『らんまML』などに実例を見た。

私の観察した範囲では、場における脱線が多発するのは以下のような理由による。毎日がファンの交流日であることを当たり前とする世代が存在する。彼らの一部には毎日のアクティブ参加への強迫観念が見受けられる。ただでさえ乏しい作品トピック流通量ゆえに、テーマに関連しない話題でも「無いよりはまし」と考えて発言している人達が存在する。彼らの中には、その発言が楽しい雰囲気を作っていると考えている者や、その発言が本来のテーマに関する発言を阻害していることを想像していない者が存在する。非アクティブメンバーの存在が見えにくいことや、メーラーの便利な機能ゆえにレスのラリーをしやすいことなどが拍車をかけている。そして、脱線した会話が移住すべき場(しかもMLと同等かそれ以上の簡便さを持つ場)は事実上、存在していない。

さて、MLは電子メールをもってなす意思伝達の場であるから、MLの活性度は投稿された数をもって表現されるのではなく、どれだけの意思伝達が行われたかをもって表現されるべきだと思う。先述した流し読みの風潮や未読傾向の増長はML活性度を低下させるものだ。投稿数が倍になったが読者数が半減したとして、果たしてMLは活発になったといえるのか?。

MLに限らず交流用コンテンツにおける投稿規範の明示は必要なことである。

4−2 既存の投稿規範

あらかじめテーマが決められている場へ参入する者は、基本的にそのルールに従うべきである。ルーミックサークルであることを宣言しているサークルに入会した者がそのサークル活動においてルーミック以外のものを主に扱うことがルール違反となることは言うまでも無いだろう。もちろん、その場にいる人達がその脱線を許容することもしばしばありえるが、場自体の威信は低下してしまうだろう。その結果、既存の参加者が離れていったり、新規の参加者が減少していくかも知れない。

「ここはルーミックチャットです。ルーミック以外の話題は遠慮下さい」と書いてあっても、このことを理解できてない人は「おれたちを排除するのか?」と感じるかも知れない。これは、子供向け番組を見た大人が「この番組は大人向けにつくっていないじゃないか」と憤ることの不合理さに似ている。

その方針に従えないならばもとから入らなければいいのだが、実際問題として、チャットルームにせよサークルにせよ、絶対数あるいは選択肢はそれほど多くない。更に言うならば、チャットルームはどこも同じように見える。実際に、繁盛している著名なチャットルームはいずこもゲマインチャット的であり、参加メンバーも互いに共通である傾向が強い。その中でより自分にあった居場所を探すのは容易なことではないだろう。

ちなみに、新参者を受け入れることができる場所は、一般的な共通言語を使用しており、新参者を暖かく迎え入れることができ、ルーミック作品の話題をすることを主とするものであり、その内容もあまり高度すぎてはならない。解説の無い高度なルーミックネタは初級者には非ルーミックに見えるかも知れないのだ。

4−3 脱線の許容範囲

元から知り合いだった場合や稀少な偶然の場合を除き、ファン同士の交流というものは「そこにいる人達によってテーマが定められていく基礎的交流」ではなく「あるテーマに集まる人達によるそのテーマに関する機能的交流」からスタートする。ファン同士の交流は最初にテーマありきなのだ。そして、いくつかの条件(例えば、交流の規模が互いにメンバーを把握できる程度に小さいなど)が満たされれば(非常に興味深いことだが!)その交流は機能的交流から基礎的交流へと転化していく。この転化自体は基本的に、「単一の話題で交流する仲間関係」から「様々な話題で交流する友人関係」へと発展したとみなすべきであり、『ルーミック愛好者論』の著者として喜ばしいことだと思っている。

もちろん、「あるテーマを扱う不特定多数のファンの交流の場でのテーマ外の交流」を肯定するか否かは別問題だ。テーマ外の交流に参加している人達は確かに楽しいだろうが、その場にいるその他の人達は必ずしも楽しいわけではない。特に、テーマに関する交流を求めてやってきたファンはテーマに関する話題の比率が少なくなっていることに失望するだろう。余談だが、これは自分が欲しているテーマが場が提示されているテーマの部分集合でしかない場合にもいくらかあてはまる話だ。もっとも、この場合は失望している側に問題があるのだが…。ルーミック全般を扱う場にやってきた『うる星』ファンが、『らんま』の話ばかりなされていることに失望するのは、お門違いだというものだ。

話を戻そう。場に掲示されている筈のテーマが少ないことに失望したファンは、他の選択肢があればその場を去っていくかも知れないし、他に選択肢が無ければやむを得ずその場に居続けるかも知れない。不特定多数が居る場においてこの失望を発生させないようにするには、その場における交流内容が、掲示されているテーマを大きく逸脱することが比較的に少なければよい。テーマ外の交流はテーマが決められている場所の外でやるべきなのである。なお、例外的な問題解決方法としてテーマの方を拡大変更するという方法もあるが、不特定多数の参加者がいる場合にはこの解決方法は別の問題を発生させる。

4−4 唯一性による絶対性

ある一つのテーマについて掲示板は、ファンによって多くが開設されるが結果的にいくつかの掲示板へと住み分けがなされていく。それに対し、MLは同趣旨の既存のものがあれば新たに開設がなされることはまず無いし、MLの分割には反対者が続出する。仮に複数のMLが開設されても長期的に一つに集約されていく。これは言い過ぎだろうか?。逆に、MLはそのテーマをしっかりと明示しなければならないのではなかろうか?。近いジャンルを扱えば扱うほどそれは重要だ。例えば、「作品に関するML」と「そのファンの交流のML」とは明確にテーマを明示しなければその差異は無くなってしまうだろう。

MLの投稿規範が狭いものだと、その範疇を超えた投稿は行き場所を失ってしまう。例えばそのMLがグッズ売買を禁止していると、事実上グッズのやりとりをするMLが無くなる可能性がある。また、作品に関連した話題だけという投稿規範があった場合には、雑談による交流を期待する者はやはり行き場所をなくすことになるだろう。

逆に、投稿規範が広いものだと、たとえばある作品に関するMLがあったとするが、狭い領域にしか興味のないファンにとっては余分な投稿が多く感じられるだろう(もちろん思うほうに問題があるのだが…)。例えば、『るーみっくML』というものがあったならば『犬夜叉』ファンは余分な話題を受信せざるを得ないだろうし、『らんまML』に加入した「あかねONLYファン」は他のキャラの話題を受信せざるを得ないだろう。

現在のところ、『うる星ML』と『うる星通信ML』とはなんとかある程度の住み分けがなされているようだ(2000年4月)。なかなか興味深い。

4−5 高齢者の投稿はなぜ少ないのか?

『うる星』や『らんま』などは連載や放映が終了してからかなりの年が経っている。近年、それらの作品には目新しいトピックも少なく、すなわちMLや掲示板へ投稿すべき内容も時事的なものが少ない。しかしそれらの作品は、クラシック音楽のごとく、新たなファンを生み続けるだけの魅力を今なお持った作品だ。必然的に、投稿される内容は身の回りの作品関連の話題や新しいファンによる作品感想やなどの比率が多くなる。

高齢者は社会的責任もあり忙しいというのも、高齢者の投稿量が少ない理由の一つだろう。また、インターネットが普及していなかった時代からファンしており、作品を通じた交流の場はMLに限らないこともいくらか影響を与えているようだ。

長くファン活動をしていると、同じようなネタに出会うことも少なくない。フレッシュマンにとっては新しい話題でもベテランにとってはいつか見たネタにすぎないこともある。ゆえに、ベテランはフレッシュマン同士がそのネタで会話するのを暖かく見守る傾向を持つのではなかろうか。

ここで、流し読み程度又はほとんど読まない参加者DOM(Download Only Member)について考えてみる。脱線の多いMLでは、全体的にDOM傾向が進行している。DOM(高齢者に多いようだ)が投稿しにくい理由の一つは、MLに投稿しようとネタを思いついてもそのネタが過去ログにあるんじゃないかという危惧を感じてしまっているからではなかろうか?。しかも全ての人が膨大な過去の投稿(例えば1ヶ月分)を検索できるとは限らない。多数は、せいぜいタイトルの一覧から推測するぐらいしか出来ないのではなかろうか。この意味でも、タイトルは内容を表すものであることが強く望まれる。DOMになってしまった人達が投稿を再開しやすくなるのみならず、恐らくは参加者全体にとってもメリットがあるだろう。また、定期的なメールや掲示板などで最近の話題一覧を表示してもいいかも知れない(ちょっと親切すぎるきらいはあるが…)。

4−6 荒らし

荒らしとは、MLあるいは掲示板又はチャットにおいてその趣旨を大いに逸脱した書きこみを為すことにより当該ML又は当該ページ及びその周辺の者に迷惑をかける行為又はその行為者を言う。多くの場合、荒らしに対しその場の構成員や管理者からの制裁(批判や無視や白眼視など)又は教育(注意や勧告など)が行われることになる。インターネットはその匿名性ゆえに、荒らし行為を為そうとも当該ページからのアクセス禁止や除名を超える制裁がなされることは稀である。もし荒らし側が、その制裁を苦に思わないのであれば事実上、ノーリスクで荒らし放題が可能である。

荒らし行為がどのような意図でなされたかにより、「荒らし」は大きく「過失犯」「確信犯」及び「愉快犯」に分類することができる。3種類の見極めはそれほど難しいことではない。しっかりと見極めた上での対処が行われるべきであろう。注意も警告もない状態でいきなり強い制裁が行われるべきではないし、簡単に「荒らし」が「愉快犯」であると断定してしまってはいけない。いきなりの制裁がどうしても必要ならば、その場にいる人たち全員に対して理由が明示された上で行われるのが望ましいだろう。これによって事情をよく知らない人がその制裁をやりすぎだと誤解しないで済むだろう。

まず、過失による場合を考えよう。当人が善意で発言したことが結果的に迷惑となっている場合だ。具体的には、血液募集などのジャンル無差別な事例が大半である。大抵は簡単な教育(注意)で荒らし行為は再発されなくなる。この為に、最初から厳しい制裁を行うことは厳に避け、まずは注意がなされるべきである。それでも荒らし行為が継続されるのであれば確信犯とみなし故意による場合として扱う。

まれに教育が通じない場合(例えば多くの子供やある種の知的障害者の場合)があるが、これらは例外として継続的に過失犯として扱うこともあり得るだろう。

次に、故意による場合を考えよう。当人は自分が周囲に迷惑を掛けていることを自覚しているものとする。過失犯が発展した例の他に、以下の例などが考えられよう(非常に稀だが…)。「ルーミックファンは危険な存在だ。警告を発して活動を自粛させねばならぬ。私はその為にこうしているのだ」とか「私はうる星の再アニメ化に反対だ。賛成している奴らに自粛してもらわなければ…」などがありえるだろう。似た事例として、ルーミックのエロ同人誌を描いている人たちへの攻撃などがある。彼らに対して「お前たちはルーミックファンではない」と断定することの危険性は小さいものではない。

より上位(と本人が考えているところ)の目的の為にやむを得ず迷惑を掛けている場合(確信犯)には「このML、掲示板、又はチャットはその上位目的の為に存在しているのではないし、その上位目的の為に機能すべきものでもない」ことが告げられなければならない。それでも荒らし行為が継続されるのであれば気の毒ながら愉快犯に対する制裁と同様の対処がなされるべきだろう。

迷惑を掛けること自体が目的の場合(愉快犯)もありえる。大抵はジャンル無差別なのだが、ルーミックを愛好するゆえの愉快犯も考え得る。ある種の売名行為や個人的な復讐をなしたい例が考えられよう。無視された人や疎外感を味わったファンが腹いせに何かするかも知れない。可能性の問題だが、常連さんの裏の顔であることも有り得るだろう。

対策としては、その場の構成人が一致団結して強い態度で挑むべきである。状況によっては管理者権限の行使による強い制裁が行われるべきであろう。

第5章 WWWを通じた交流

WWWを通じた交流において見られる諸問題について言及した。

5−1 発言の責任

例えばMLは、編集&出版を除いた投稿雑誌と同様の役割を担っている。投稿雑誌と同様にハンドル(ペンネーム)及び投稿内容が公開されるだけでなく、投稿者のメールアドレスも公開される。これはMLでは投稿内容に対するチェックが働かない以上、発言責任の所在を示す上で必要なことである。

メールアドレスを公開している以上は、当然に様々な意見がそのアドレスに向けて送られてくることがある。

5−2 交流のスタイル

「掲示板でのことは掲示板で」「MLでのことはMLで」「チャットでのことはチャットで」のように考えている人と、「ネットでのことはネット上で」と考えている人とでは、交流方法に差異がでてくる。後者は掲示板の話題に対する反論を個人宛てのメールで送ったりするが、前者はそれを卑怯だと感じたり戸惑ったりすることが有る。同様に、「(匿名性ゆえに)ネットは別世界」と考えている人は「ネットはあくまで一般社会におけるメディアの一つにすぎない」と考えている人から、ネット外での交流を求められるとそれに戸惑ったりするかもしれない。ましてや、「掲示板でのことは掲示板で」と考えている人と「ネットはあくまで一般社会におけるメディアの一つにすぎない」と考えている人とでは…(苦笑)。

さて、交流レベルに差異がある場合には、より狭いレベルを持つ者により広いレベルを持つ者が合わせなければならないという意見がある。ところが、前者に合わせるのが適切でないと後者が感じた場合(例えば、その掲示板のルールから大きく外れてしまっている話題など)は、後者は前者に通信する手段がなくなってしまう。当たり前だ、前者は後者からの掲示板以外での討論(交流)を拒否しているのだから…。前者は後者からの信頼を得ることはできないだろう。逆に、狭いレベルに合わせる必要がないという意見もある。その場合には上記の戸惑いが発生する。

さて、上記の戸惑いなどを防止するためには、場におけるコモンセンスの存在が重要だ。掲示板やチャットやMLなどではコモンセンスが自然に形成されるまで待つことはなかなか難しい。よって、掲示板やチャットやMLなどの交流用コンテンツを提供している者が、その場におけるルールあるいはスタイルやポリシーを決めて明示しておくのが効果的だ。もちろん、管理者が異なればルールも異なるのは当たり前のことだ。

それにしても、ルールが明記されてない場が多すぎる。おかげで、管理者の予定していたルールと参加者らが自然に形成していったルール(コモンセンス)とが乖離していく。しかも、参加者の形成していったコモンセンスはルールとして明示されてないことが多い(当たり前だな)。

参加する者は自分のスタイルにあわせて参加不参加を決めるがいい。但し、参加するならばその場のルールには従うことだ。ルールが明記されてないことも多いから観察することや試参加も必要だろう。もちろん自分のスタイルに合致した場が存在することなど誰も保証していない。誰も参加を強制しやしないし、不参加を強制しもしない

5−3 出会いは多いが…

趣味の世界だからといって、男女の出会いが無いわけでもない。『らんま』や『犬夜叉』の影響でファンの女性比率が増えていることも、その出会いの可能性を高めている。男女が仲良くなること自体は別に悪いことではないし、やがて親しくなることだってあるだろう。実際に、幸せな結婚生活をおくっているカップルだって存在している。

坂本わかるね?、この場合の親しさ」。(『めぞん一刻』より)

もちろん、ハッピーエンドになるとは限らない(現実の世界とラヴコメの世界とは異なるのだ)。さまざまな要因によって悲劇的結末になることも少なくない。このような悲劇がインターネットを用いたファン活動において増えている。ネット外の一般社会ではとてもそんなことはやらないであろう愚かな行動による悲劇的結末だ。

ネット内(オフ会も含む)とネット外とを明確に分離させている人は少なくない。ハンドルネームと本名とは別の人格であると言う思想である。このような感覚の人にネット上で知り合った人がアプローチしたところで、相手(の本体)は戸惑うだけだろう。

ネット内で会っているのは基本的にハンドルネーム(の人格)同士である。まだ会ってない本名(の人格)同士の関係をいきなり要求するのは非常にばかげているのだ。ちなみに、自己紹介文書を交換した程度では本名同士が会ったうちに含めることはまだできないだろう。

まず最初に、相手を知ることが必要だ。自分自身の勝手な思いこみはいけない。綺麗なハンドルネームだからといって本体まで綺麗だとは限らない。年齢だって本当か否か分からないし、性別だってそうだ。

どうしても仲良くなりたいのなら、「ネットはあくまで一般社会におけるメディアの一つに過ぎなく、ハンドルは必ずしも別人格を表すものではない」と理解してもらうことだ。もちろん、押しつけてはいけないし、相手の思想を否定すべきでもない。自分自身も正直にしているべきだろう。異性を演じること(ハンドルジェンダーあるいはネットおかま等)はネット上で仲良くなるには有効な手段だが、正体がバレたときの反応はそれなりに厳しいのでやめたほうが賢明だろう。

オフ会やメール交換などを通じて仲良くなっていくことだ。あせってはいけない。その過程で、同性の(又はターゲット以外の異性)仲間との交流を露骨に手抜く又は忌避するのもいけない。これは疎外感ややっかみの原因となり、無用のトラブルを招く可能性を高めるものだ。トラブルはターゲットの異性との交流にも悪影響を及ぼし得る。ゆえに、ひいきは(あるいはそれと誤解されるような言動は)露骨にやらない方がいいだろう。

そして非常に重要なことだが…ハンドルの自分も本名の自分もともに魅力的な人物に磨いておくことだ!。ハンドルの自分を魅力的にしなければオフ会やメール交換も機会は無いだろうし、本名の自分を魅力的にしなければそれ以上の進展は無いのだ。

具体的な「男の子教育講座」は専門書を読み給え!。

5−4 交流の管理

インターネット上などが普及する遥か以前から、サークル集会などでファン同士が互いに知り合う機会はあった。そして、ファンの交流の場(いわゆるサークルやお茶会など)を提供し運営する者(以下、運営者)にとって、その参加者同士の個人的な交流におけるトラブルはそれなりに頭の痛いことだ。

私はしばしばそれらの問題の構造を解析し一般化してきた。私は、自分が直接に介入して個々の問題を解決するよりも、問題を解決の為の道具を広く提供した方が全体として効率的だと考えているからだ。ついでに言えば、当事者らから頼まれもせずにお節介を焼くほどヒマでもないしな(笑)。

ちなみに、「場」における個人交流に対する運営者のスタイルには基本的に3種類ある。まず、「場」における交流を認めるスタイル、次に、「場」における連絡は認めるが交流自体は認めないスタイル、そして、「場」における交流も連絡も認めないスタイル、である。

重要なことだが、運営者には、連絡や交流の為の他所の場所を提供する義務はない

さて、トラブルが「場」に迷惑をかけている場合(これは「場の参加者」に迷惑を掛けている場合とは必ずしも一致しない)には、運営者はトラブルに対し介入する権利を持つだけでなく、介入すべき義務もしばしば負う(いわゆる管理責任というものだ)。

しかし逆に言えば、「場」以外におけるトラブルに対しては、運営者は必ずしも介入する権利も義務も持っていない。もちろん、当事者らの了解があれば介入することもできるが、それは運営者としてではなく個人としての介入となるべきものだ。また、介入は「場」においてではなく「場」以外において行われるべきものだ(その「場」自体がトラブル解決を担う役割を併せ持つ場合などを除く)。

サークル内での恋愛問題を例にとろう。それがサークル活動の場に迷惑を掛けていない限り、運営者は介入の権利も義務も持っていないことが容易に想像できるだろう。そして、場に迷惑を掛けている場合でも運営者は当事者らに対して、「ここは交流の場であり恋愛又はトラブル処理の場ではない」などの対応や「サークルの活動の場では恋愛禁止」などの予防を行うことができるにすぎない。彼らの恋愛に対しては基本的に、運営者といえども部外者であるからだ。

話を一般論に戻そう。しかし実際問題として、運営者の地位にある者は唯一の介入可能な者であることが多く、内外から「介入して欲しい」だけではなく不合理にも「介入すべきだ」という意見までもが寄せられる(運営者自身が「介入したい」と考えることもあるだろう)。

つまり、運営者には介入する権利がない状態であるにも関わらず介入の要請が押しつけられるのだ。そこで、運営者はその押しつけられた要請を名目にする為に運営者の立場で問題に介入することが多い。ところが、当事者らの了解を得ずに介入を行えば、運営者の越権行為になってしまう。

管轄外の問題に介入するときは、くれぐれも当事者らの了解を得ることだ。場合によっては、「周囲の要請に応えないことによるリスク」と「当事者からの恨みを買うリスク」とを天秤に掛けなければならなくなるだろう。

管轄外の問題に介入するときに当事者らの了解が得られない場合には、「場」における制裁処置をちらつかせて介入を了解させる脅迫も有効だろう(善悪は別にして…)。やるときは脅迫だと受け取られないように巧妙にやること(笑)。

もちろん、大抵の場合はそんなことせずとも介入の了解は得られるだろうが…。

なお、上記の話はインターネット上の交流の場合にもあてはめることができる。個人のサイト内などは当然にその運営者の管轄領域内であるといえるだろう。

5−5 子供への対応

子供がルールに違反したときに、交流コンテンツの運営者が採る対応には大別して「ネット上では実年齢は関係ないという思想に基づいて子供あつかいしない方針(制裁又は放任)」と「一般社会の規範に準じて子供を子供扱いする方針(放任又は教育)」とがある。それぞれ長所短所があるので運営者には熟考が求められることだろう。

まず、常識を身につけていない者の参加を制限するという手法は、匿名性の高いWWW上では実現が難しいし、小中学生でも気軽に参加できるファン活動には必ずしもふさわしくない。彼らが自ら常識を覚えていくのを待つのもばかばかしい。その間もやはり迷惑は発生するのだ。

子供を教育することは交流コンテンツの発展拡大の観点からは有益な手段である。教育の成功は良き参加者を増やすことにつながるからだ。必要ならば、注意や提案という形のリードがなされることもあるだろう。しかし、運営者が気を付けるべきことの一つは、「運営者に必ずしも教育権限があるわけではない」ことだ。例えば、「ネット上では実年齢は関係ない」と考えている子供に対して運営者が大人の立場から教育しようとすると別のトラブルを発生させ得る(場合によっては運営者によるプライバシー侵害が発生することもあるだろう)。そのような子供に対しては、大人同様に扱って容赦なく放任又は制裁を選択することも必要だ。

なお、「ネットこども」の存在可能性について検討してみるのも一興だろう(笑)。

あとがき

私は、ルーミック愛好者論の著者として、ファン同士の交流を重視した持論を展開している。

インターネットの普及は、ルーミックを通じた多くの邂逅をもたらした。しかし、そのシステムと匿名性は、ファン同士の関係をルーミックだけを通じたものにしがちである。もし、相手がWWWの上から姿を消したときにどうやって連絡をとのかを、たまに考えてみるといい。「そういえば相手の住所も本名も知らない!」ということになるやも知れない。

私は、ネットは匿名性が高いこともプライバシー情報の流出にはリスクを伴うことも理解しているが、だからといって匿名性を最重視するつもりもないし義務化(あるいは宗教化)するつもりもない。なぜならば、匿名死守には人間関係上のリスク(信頼を得られない可能性など)を伴うからだ。ネット初心者じゃあるまいし、どのようなメリットやリスクがどの程度の期待値を持って存在しているのかを判断ぐらいできる。私の場合は、刹那的な交流はあくまで手段に過ぎない。「角をためて牛を殺す」では何の為の交流か?。

Satoshi ARAI ( arai@rumic.gr.jp )