自由なるファン魂 20010701

人が何をどう思考しどう行動するかはその人の自由だと考えている。ただ、その行動が社会規範に反すると解釈された場合には社会的制裁を受けるかも知れない。よって、その社会規範が具体的にどのようなものであるかを把握することが重要になる。

さて、私が作品愛好やファン行動についてどのように思考するかは、私の自由である。私がどのように思考しようともそれ自体だけでは誰にも迷惑を及ぼすこともない。

一方、どのように行動するかは社会規範との兼ね合いが問題となる。この卓上打算機において社会規範に反する可能性がありえるとすれば、それは著作権侵害、猥褻文書陳列、特定個人に対する中傷や侮辱、プライバシー侵害(その具体的範囲は別稿で論じたい)などだろう。現在のところ、これらの事例はないと思われる。

では、「ファンは〜すべきである」という意見陳述はどうだろう?。実際に、このサイトを閲覧してそのように思う人が存在するのは事実である(語録20010510を参照のこと)。

ところで、評論家がその著書の中で「日本人は〜すべきである」と一般論を主張したとしよう。その意見に対してどう思うかは読者の自由だ。「余計なおせっかいだ」と思う人もいるだろうし「もっともな意見である」と思う人もいるだろう。

確かに、読むことを強要したり意見に従うことを強要したりするのは(合理的な理由が別に存在するのでない限り)社会規範に反する行為だろう。しかし、それを公開すること自体は何も問題のあることではない。その著書を読んで、もし「強制されている」と感じるのであれば(そう思うのはその人の自由ではあるが)それは明らかに被害妄想である。

サイト運営における意見発表も同様だと思う。それ自体が社会規範に反するものでない限り、それは自由なものであるべきだ。

とはいえ、閲覧者をわざわざ不快にさせる必要などない。価値観や主義などは変えることもないが、文章構成や言葉遣いなどの表現は改善していくべきだと考えている。

Satoshi ARAI ( arai@rumic.gr.jp )